栗原はるみさんほどの人が、夫に依存?
料理家の栗原はるみさんの季刊誌「haru-mi 2020年冬号」には、去年亡くなったはるみさんの夫・栗原玲児さんへのはるみさんの今の想いが綴られていて、涙なしでは読めなかった。
特集こそ「冬のおもてなし」だけど、巻頭のレシピは夫の玲児さんの好きだったものオンパレードで、もうこれは玲児さん追悼号。
いかに料理家・栗原はるみプロジェクトというものが、玲司さん抜きで語れないものだったということなのでしょう。
表紙や誌面には、以前と変わらない様子のはるみさんの笑顔が載っている。
玲児さんのことを綴った文章からは深い悲しみは伝われども、シンプルで温かみのあるいつもの「料理家 栗原はるみ」のスタイルが健在していて。
お辛いでしょうに、プロフェッショナルですね。
(と思っていたら、やはり心の穴は大きいようで、他の記事には「食べられず眠れない日々が続き、体重も5キロ落ちた」と語っていた。つらい、、)
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そこに書かれていた栗原玲司さんの最期のあり方とそれを看取ったはるみさんの視点をかいま見て、(亡くなった時に言うのもあれだが)すばらしい夫婦だなと思わずにはいられなかった。
玲児さんに肺がんが見つかった時、彼が自ら出した答えは以下のようなもの。
・延命治療はしない(余命宣告があったそうなので、発見時点でそれなりのステージだったと予想)
・入院もしない
・最期まで自宅で過ごす
・そもそも病気になる前から、その時がきたら最期まで自宅で介護がしやすいようにトイレやお風呂を改装したりして準備をしていた
・最期には、訪問介護の医師や看護師さんにはお世話になるが、知らない人は部屋には入れない
・好きな音楽を聴いたり本を読んだりテレビを見ながら、普通の日々を過ごす
・戒名も死に装束も自分で決めていた
・力尽きる最期まで「ありがとう」を繰り返した
なんていうか、これだけでも素敵な人ですよね。
自分なりの強い美学がある人というのが伺い知れる内容で、それに寄り添うはるみさんは相当辛かっただろうけど、覚悟を決めてやり遂げた様子だった。
とはいえ、愛する人を失った喪失感はこの号のいたるところからひしひしと感じるものがある。
空っぽの気持ちになりながらも、彼女が「料理家としての自分」という部分をなんとか奮い立たせ、さらに周りのスタッフの尽力によって「いつも通りの栗原はるみプロダクト」に仕立ててこの号を出したのだろうなぁと、その裏の真実に想いを馳せずにはいられない。
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と思っていたら、朝日新聞デジタルの医療・健康・介護のカテゴリーの記事で、かなり率直に語っているわ。
「いわばバリバリ仕事をしているから、自分のことを自立した人間だと思っていました。でも、そうじゃなかった。夫に依存していたんですよね。自分でも驚くほど。」
この記事。しかし有料記事なので途中までしか読めません↓
は、はるみさん・・・ボロボロやんけ・・・。
でも、ずっと一線で「自然体で素敵な主婦の鏡」として走ってきたわけだから、つらい時はつらい気持ちを吐露してくれた方が、同世代の同じ想いをする女性たちもホッとするんじゃないかしら。
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なんか本当、人生ってあっという間。
で、栗原はるみさんほど自立して金を稼ぐ女でも、精神的に依存していたものがあるということは、これはもう全人類は、何かに依存して生きている・・・
つまり私ごときが何かに依存しないで生きるなんておこがましい、無理無理。ってことでファイナルアンサー。
( ´,_ゝ`)プッ
どんなに自立しようとしても、悲しみに備えようとしても。
結局人間、その時その時を夢中で生きていくしかないのかも。
まとめ:
はるみさん&玲司さんのあり方は、とても素敵な夫婦のあり方としてお手本にしたい。
(おしまい)
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