【絶望する勇気】本気で絶望した時にしか変革は起こらない

タイトルはスラヴォイ・ジジェクの政治哲学書から。

 

本エントリーは、この本とはあまり関係ない内容ですが、、、わたくしも「真に絶望することでしか、変革は起こり得ない」と常々考えています。

 

そういう意味で、時に「絶望する勇気」を持った行動をすることは、その後の人生をよくするためには重要なことですわね〜。

 

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ところで、

 

「不毛な不倫をやめて幸せになりたい。でもなかなかやめられない」

 

「タバコをやめたい」

 

などなど、自分の幸せのためには「今はそれが快楽(中毒)だけれど、早いとこやめないと未来はないと感じるからやめたい」というものを抱えている人はよくいますわね。

 

これには諸説あって、「やめたいやめたいと言っているだけで、心の奥底では本当はやめる気なんてないんだ」という説もありますが。

 

 

でも、私の知る限りでは、上記のように「不倫をやめたい」と言っている人たちは少なくとも本気で苦しんでいるし、本気で別れたいと思ってトライしていることは確かです。

 

それに対しての答えの1つが「絶望する勇気」序文に書かれていたので、段階ごとに引用しながらまとめておきます。

(ちなみに本書は不倫についてはひとっことも書いてません、私が照らし合わせただけです)

 

このエントリーでは仮にやめたい対象を不倫としてますが、やめたいと思っている悪しき習慣であれば、なんでも当てはまると思います。

 

 

フェイズ1:(不倫、煙草などやめたいものを)「いつでも好きな時にやめられる」という状態は、実際にそれをやめることを妨げる

 

不倫にはまっている人はみんな、「いざとなれば、自分がやめたい時にやめられるはずだ」とどこかで意識している。

 

しかしこれが間違いの元で、多くは「いつでもやめられる」ことを意識することは、逆に、続けることを助長してしまう。

「いつでもやめられる」が罪悪感を軽減する

 

「いつでもやめられるのだ」という意識は、やましさを感じることなく続けることを可能にする

 

 

 

フェイズ2:「これが人生最後のその行為である」と宣言し、最後の1回に取り組む

 

フェイズ1で自己嫌悪に陥った人が入る次の段階は、「この1回でやめます」と宣言するというもの。

 

しかしその結果、最後だと意識することによりいつもより余剰な快楽が加えられてしまい、やはり「最後の1回(のつもり)」を何度も繰り返してしまう。

「最後の1回」が永遠にループ効果。

というわけで、この戦略も失敗。

 

 

 

フェイズ3:そもそも「やめよう/別れよう」と考えること自体が間違い。好きなだけ楽しむべきだと考える

 

そもそも、自分と不倫相手は今のままが幸せなのだから、苦しい思いをしてまで無理に別れることはないのではないかという考えかたもある。

いいじゃないの幸せならば ってやつですね

 

つまりは、正すべきは「やめなければ」「別れなければ」という自分の強迫観念。

(不倫の場合)すぐにやめなければ命に関わるということもないのだから、結局は自分が真に幸せを感じられるのであれば、別に不倫でもいいのだ。

 

 

 

フェイズ4:無事絶望。

 

フェイス3で「こんなに苦しい思いをしてまで別れる必要はない」と結論づけたにも関わらず、やはり自分のことは騙せない

 

やめようとしても、開き直って続けても、何をしてもうまくいかないことが証明されてしまう。

 

出口もなければ、満足のいく妥協案もないということに心底気づかされる。

選択肢、あるようでなかったんや

 

完全な絶望状態が訪れる。

 

 

フェイズ5:「決断」ではなく、大いなる絶望の中で初めて自ら「やめる」

 

フェイズ4まで来た人は、人生に完全に絶望している

 

人生に完全に絶望したということは、つまり、快楽であった「不倫」ですらもはや重要ではなくなる。(だって完全に絶望だから)

 

その結果、人は自分の意思でではなく、絶望状態の中で、不倫を(おのずと)やめる。

「決意」よりも「絶望」の方が効きます

 

 

完全に真に絶望できた人にだけ、全く予期せぬ形で光が差し込む・・・。

 

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絶望とは、アル中で言ったら「底つき体験」のようなもの?

 

真の絶望とは、自分が「これが底辺だ」と意識できるようなものではなく、色々と手をこまねいて選択しているうちは訪れないもの。

 

あー

 

もー

 

だーめだァーーーーー

 

というのを心底受け入れた状態。

 

手持ちの選択肢も、与えられたものも、全部全部失って絶対に戻ってこないということを心底から感じ、身震いするような孤独を受け入れた時にしか「生まれ直す」ことはできない・・・

 

つまりその状態にならなければ変革はできなかったことを、私もこれまでの人生で経験したことがあります。

 

しかも、そういった「本物の変革」とは、劇的に起こるものではなく。

 

静かに死んで、静かに生き直し、いつのまにか新しい2本の足で立てるようになっているような、ささやかなものだということも私は知っている・・・

 

 

絶望を本当に自覚したのち、ささやかに始め直すことは、今後の人生においても重要なヒントでございます。

 

時には絶望する勇気を持とう。

 

(おしまい)

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