人は自分が無能だと自覚したとき、とてもつらい
久々に、仕事で精神的にクることがありました。
かなーりはしょって言うと、あるプロジェクトから外されたんです。
そういえばわたくし、35歳くらいを過ぎてから、仕事で凹むことはほとんど無かったなと。(コンペ落としてショックとかはちょいちょいあるけど一瞬で忘れる)
単に年齢のせいで図太くなったというのもあるし、それに加えて35歳くらいから自分も周りも一丁あがった感があり、慣れた環境の中で仕事を回せていたから、人との軋轢自体がほとんどなかったのです。
それに加えて自分はフリーという立場で会社にいるので、付帯業務もほとんどなく、「うちの社員たるものこうあるべき」的なお仕着せもなく、上司の存在もあるようなないような、かなり独立した立ち位置。
つまり、怒られたり、行いを律せられたり、同僚と競争させられたりすることはほとんどなかったのです。
(これってハッピーですね)
んで
今回プロジェクトを外れたのは、別にそこまで嫌な別れかたではなく、お互いに理解のできる理由だったのです。
確かにお互いにその方が良さそう、という。
プロジェクトリーダーもかなり気を使ってくれてました、、、
しかし、それであっても、
久々に自己嫌悪に陥りましたよ。
陥る必要はないのはわかっているのに、勝手に凹んでいくのが止められない。
( ´_ゝ`)
それで、このつらみによって、忘れかけてた感覚がフラッシュバックしたのですが、
仕事人て、自分が無能だと深く自覚したとき、とても辛いのだった、という感覚。
(すっかり忘れてたんかーい)
確かに、ナイーヴな新人や若者だったらこういう時、
「自分は無能だから外された」
「それゆえ自分の居場所はない」
そのような方向にばかり考えることを止められず、オカシクなってしまうでしょう。
でも、わたくしは経験から、そのような方向に極端に引っ張られて落ち込むことはナンセンスなことを知っている。
そして、オカシクなるまで物事に執着することほどダメなことはない、というのも知っている。
だから凹むことはあっても、なるべくスピーディーに前を向くよう自己コントロールしていきます。(反省はしますよ)
でも、人によってはどうしても負の方向に引っ張られがちよね。
そういう時は、「あ、これは執着だ。執着はよくないぞ」という、まずは頭での理解。
そして、時間の経過。
その2点が万人に効くように思います。
お試しあれ!
(おしまい)
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どしたんどしたん!
わーい声かけてくれて嬉しい(涙)
こういう時に慰められるのはやっぱ友達の声よね!
今度話聞いて!