前向きにあきらめる。 そもそも「諦める」のは「明らかにする」こと
先日のエントリーで、
自分の感覚として「あきらめる」に後ろ向きな感じはしない むしろひと時の勝利よりも大切なヒントが隠されている感がある と書いたが・・・
調べてみると、元々「あきらめる」は「つまびらかにする・明らかにする」ということだそうです。

仏教から来ている概念とのこと
漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する
(生活の中の仏教用語より)
これが感覚としてわかっていた私ってもしや・・・
ブッダの生まれ変わりかしら。

とか言い出す人には、絶対に近づかないようにしましょう。
仏教の考え方ベースとなると、このエントリーのタイトル「前向きに」「あきらめる」というのも、本来はおかしな言葉なのでしょうね。
(“前向きに”とかいうこと自体、執着が消せていない)
・・・ブッダの説法はさておき、
ほどよく俗世にまみれつつ楽に生きるには、「前向きにあきらめる」スキルくらいが都合よくて調子いいので、オススメです。
(おしまい)